Sunday, January 4, 2009

心取り

 昔、祖母の時代に子取りという言葉を習いました。 夜遅くまで子供が外で遊んでいると子取りがやってきて、その子をさらって、サーカスや、女中として売り渡されてしまうという事を聞きました。 とっても怖かったです。

 昔は、子取りでしたが今の時代は、、、、、
心取りの時代です。 それはインターネットによって心を盗まれる人たちです。




 何のこと?と思われるかもしれませんが、最近の子供たちはインターネットの世界へ入り込んで出られなくなっている子供たちがどんどん増えています。 実際の世の世界から離れてインターネットの世界で生活をしているのです。

 また閉じこもりをしています。 少し前に「マトリックス」というバーチュアルの世界を現した映画がありましたがまさにその世界です。

 何故? ビジネスを通し、キリスト教を通し世界宣教が始まっています。 それは世の終わりの近い事を表しています。 その事を知った悪魔が自分の時が短い事を知って暴れ回っているからです。 一時的ですが、悪魔の世界が世界中に広まる時が来ます。
 その現われ始まりつつあるのが今の時です。 まさに聖書の言っている鉄と粘土(半導体を中心とするハイテクの時代)の時代だからです。 

 その心取りの時代に、心を入れ替えて正しい生活が出来るようになるでしょうか?
「聖書は出来る」と言っています。 今まで人々は「自分中心」に生きていましたが、イエスさまの愛に触れた時に初めて「神中心」に生きれるようになるのです。

 クリスチャンはその役目を受けています。 またイエスさまは私たちを用いようとなされています。
クリスチャンは自分ではなくて素晴らしいイエスさまを伝える事が出来ますから、、、
素晴らしいクリスチャンを伝えるのでなく、その人の心の中に働かれている神さまを宣べ伝えるのです。

 自動車は素晴らしい乗り物です。 その素晴らしさは、車の構造、仕組みを知らなくても、体験して、見て素晴らしいといえます。
 それと同じようにクリスチャンは神さまの事をすべて知らなくてもイエスさまは素晴らしいと宣べ伝える事が出来るのです。

 ぜひお近くの教会へ行ってイエスさまの素晴らしさを体験してみてください。 また弱っている教会も、イエスさまの素晴らしさを続けて宣べ伝えてください。 そこに主が働かれるからです。


Saturday, January 3, 2009

ソーイング・ハワイ(Sowing Hawaii)

 ハワイにソーイング・ハワイという会社があります。
イラストレーター、画家として活躍されていますので、ぜひご利用ください。
下にそのサンプルがあります。

電話 (808)384-6032 (村松正英)




Friday, January 2, 2009

兄弟姉妹

 明けましておめでとうございます。 2008年が去り、2009年が始まりました。雨のために初日の出を見ることは出来ませんでしたが、その代わりに虹を見ることが出来ました。

 最近、感じたのは主にある人々、これから主を信じようとする人々は、みな兄弟姉妹であるという事です。 聖書では家族、ファミリーであると言っています。 ファミリーは全て同じイエスさまにつながっていますので、似ているのです。

 全く同じではありませんが、主を感じ話されていること、行動している事は同じなのです。 色々な世の流れの中でそれぞれ役割があってそれに従って歩んでいるのです。 決してその中で、私たちの働きが素晴らしいとかいうことは無いのです。 そうでなければそれは主の栄光のためにしている事ではないのです。 そこに違う要素を加えようとしているのです。 しかしその事に気付き、正しくその事を伝えるなら世界統一化の波にもまれても、成長する事が出来ます。

 同じ御言葉(聖書)を神さまから与えられ、そこから歩んでいるのは同じものなのです。 確かに行動は違うかもしれませんが、それぞれ同じ神さまの教えによって歩んでいます。 その事を正しく伝えていかなければなりません。 イエスさまはその事に命をかけて歩まれたからです。

「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。」               (ルカ11章23節)

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。 それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。 わたしは良い牧者です。」

(ヨハネ10書11-14節)


Wednesday, December 31, 2008

世界統一化

 世の中は凄い速さで、世界統一化に向けて変わりつつあります。 そうしなければビジネスの社会では生きて行けなくなりつつあります。 企業、政治、環境、文化も国際化しつつあります。
 企業は世界統一規格化、国際ビジネスに向けて統合が進み、投資の金額も一企業、一国家ではまかないきれなくなっています。 政治についても自分の国家だけではなく、必ず隣国、友好国との協調が必要となり、言語、文化の違いを乗り越えなければならなくなっています。 環境においても、そのような状態の中で協調がなければ前に進まないほど深刻な問題が次から次へと起こっています。 環境破壊、異常気象、食糧危機、国際テロ組織の成長、資源の確保、強力病原菌の出現など、一国では解決できない様々な問題が次々と起こりつつあります。

 その中にあって、世界に通用する文化、心、考え方が必要となります。 究極的には適格的な状況判断と愛のある判断とにつながってきます。 今まではビジネス中心で、まつりごとを行っていましたが、これからは生死、生きる意味を考えつつ歩まなくてはいけなくなるでしょう。 しかし、儲け中心になると犯罪、敵がどんどんと増えます。
 テロリストというのはイスラム諸国だけのように考えておられるかもしれませんが、反社会主義者はどんどんと増えています。 悲しいかな、今の世の中は生きるために犯罪者を作り出す状態へと変わりつつあります。

 国が大事なのか? 会社が大事なのか? 家族が大切なのか?
 会社を大事にするとどんどんと社会に貧困差が広がります。 誰を続けて雇用するのか? 誰を辞めさせるのか?
 何が一番大事で、何が不要なのか? その決断によって、人々が上がったり、下がったり、また何時上がるのか、下がるのかも予想がつかない状態になって来ました。

 生きるために本当に大事なのは、食料と資源ですが一部の人々によって価格が統制されるようになっています。 自給自足が出来れば一番良いのですが、今はエネルギー源が必要で、それを手に入れるには現金が必要です。 現金を得るためには外へ出て働かなくてはいけません。 今の生活のパターンを簡単に変えることが難しいでしょう。

 そこでまさに力あるリーダーを求める時代へと変わりつつあります。

 しかし日本は、今まで社会中心に生きてきたために、このような環境変化に対応するのが難しいのです。 日本に良いリーダーが出て、それを支えていく基盤が出来れば日本はどんどんと成長するでしょう。 しかしそのリーダーを支える基盤作りがないのです。 社会中心+愛中心の考えを考慮しなければリーダーは出てこないでしょう。
 愛中心というのは自己だけの損得を考えないで、道徳を行う、弱いものを助けていくという考えの上に立って行わなければなりません。
 またそこには、実行力が必要です。 本音と建前では何も起こりません。 その2重性がある限りは、世界の人はついて来ないのです。 どんなにすばらしい事を言ったとしても、行わなければなりません。 世界でも通用した人というのは、真理を人々に伝えそれを行うことです。 また弱い人たち、底辺を知った人でなくてはリーダー力がありません。 エリートの人は、それらの人たちの苦しみを知りませんから、平気で愛を切り捨てることが出来ます。 名将と呼ばれる人たち、またイエス・キリストは底辺にある人たちの苦しみを知っていました。

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。」


(マタイ24章7-10節)




Sunday, December 28, 2008

恵によって(証し)3

 ホノルル教会は私たちがホノルルへ来ていた時、牧会なされていた中野牧師が新しい伝道の働きのため辞任され、新しい牧師、鈴木牧師を迎えて新しく牧会が始まりました。 牧師が代わると色々な教会のスタイルも変わってきました。 しかしその新しい牧師のスタイルに慣れない教会員たち、派閥争い、新しいタイプの教会進出(ニューホープ・チャペル、主の十字架教会)によって教会員は一人減り、二人減り、、、、最盛期の半分ぐらいの教会員になりました。

 私自身、教会を去る人たちに教会を変わる理由を聞いても教えてくれないし、教会内に悪い噂が流れ始めました。 この頃の教会は交わりも薄れ、礼拝が終わると教会員はすぐに帰宅、牧師も帰宅で教会内の交わりは最悪状態でした。
 何とかしなければいけないと私たち家族は悩みました。 このままでは私たちの教会はダメになってしまうと神さまに祈りました。 どうしたらよいのでしょうか?

とにかく、教会に対しての不満があるのなら話し合いをしなければならない。 どうやって?

 私の家内が言い出しました。 今まで、子供会とある特定のお年寄りだけで、簡単な食事をしていましたが、牧師も一緒に食事をして交わりをしたらどうだろうか?  食事のミニストリーをしている内に色々な案を神さまから頂きました。

その内にこの食事の枠を広げて他の教会員も日曜日の午後に、一緒に交わりをしたらどうだろうかと、、、
 しかし、そんな事は可能なのだろうか? 今まで、子供会しか作ってなかった食事を多めに作ること、そして毎週出来るのだろうか? 不安材料が一杯でした。

 夫婦で話し合って、出来るか出来ないかではなくてとにかく、神さまに祈ってから始めようという事で始まりました。 始めは家族的な交わりといった食事会でした。

 しかし、何ヶ月も続けるうちに、一人、また一人と食事をする人が増えてきました。

 だんだんと増える食事の量、毎週作るための疲労が続き、私の家内の手が疲れすぎて痛くて、しょうがないという事態に陥りました。 医者から今のような状態を続けると一生、手が不自由になってしまうので、今の仕事を止めなさいと言われました。

 家族で助け合い、何とか乗り切ろうとしますが、私と子供たちは子供会の奉仕が忙しくて、食事の助けが出来ません。 「神さま、働き手を与えてください。」と祈るしかありませんでした。
 しばらくして、食事のミニストリーに、一人、二人と強力な助け手が与えられ、本当に楽になりました。 教会員の交わりは盛んになり、教会員の減少傾向は止まりました。

それから、関牧師がホノルルへ副牧師として赴任され、教会員は増え続けました。  教会員が一人増え、二人増え、、、本当に感謝でした。 神さま感謝します。

現在、私たちは食事を新しいリーダーに任せて、新しいリーダーの下で奉仕をさせていただいています。

神さまは本当に必要な人を与え、助けてくださり、苦難の時を乗り越えることが出来ました。

主の恵みにハレルヤ!

また次へ続きます。

Wednesday, December 24, 2008

神さまって? (フィクション)

 自分はは神なんか重要ではないし、必要ないと思ってた。 俺は俺のように、自分のスタイルで生きれば良いと思っていた。

 しかし、ある時もし神さまがいるのだったら神さまと会ってみたい、話したい、そういう思いが出てきた。 そういう思いが強くなればなる程、自分と神さまのギャップが大きい事に気が付いた。
 もうダメだ。 俺なんか神さまと会えないし、話すことが出来ないのだ。
 もう神さまから見捨てられてしまったのではないかと、、、、、、

 神さまは、そのような私をそのまま受け入れてくださった。

 イエスさまは神であった。 神というあり方を捨てて、人として生まれ普通の人としてお生まれになった。 人々を愛し、私たちと同じように苦労をなされ、生き様をお示しになった。
 色々な人々、政治家、宗教家、生きるのに必要の無いように思える人や、罪ある人々から馬鹿にされ、捨てられ、最後には罪のある犯罪者として十字架につけられた。

 何故そのようにしなければいけなかったのだろうか? まるで犬死ではないだろうか、、、
神さまが犬死するなんて、この世に生きていた意味は無いのではないだろうか? そういう疑問が湧いてきた。

 そんな時、俺が出会ったのが、教会であり聖書だった。 その疑問の解決があった。
 まだ全部わからないけれど、罪を犯すと、必ず罰が待っている。 その罰の身代わりというか、私自身負いきれない罪をすべて一緒に背負って下さったようだ。 私の罪を一切なくされようとして下さったのだ。
 俺の心は本当に軽くなった。 自分の事をわかってくれた人がいた。 神さまがいたのだ。

 自分が持っている罪は決して軽くならない。 しかし、神さまが私を赦してくださり、十字架の愛が私を生きるものとしてくださった。 俺の暗い心がパーッと明るくなったような気がする。 真っ暗な世界に光が輝いた。 それはとってもありがたい事だ。
 この神さまだったら、俺の辛い事、苦しい事、弱い自分、嬉しい事など何でも話すことが出来そうだ。 その神さまに会えた事はとっても幸せだった。 今まで誰にも教えてくれなかった事、又神さまがこんなにも自分に近い所にいらした事、そして自分になかった力が湧いてくるような気がした。 この神さま、イエスさまを伝えたい。

 イエスさまは犬死なんかじゃない。 彼は死んだけれど、栄光の主としてよみがえって下さった。
 このイエスさまは俺の救い主だと、、、伝えたい。


Thursday, December 18, 2008

迷路を生きる人たち

 最近、日本人という事でふと気が付いた事があります。 不思議に私も含め日本の人は何かの力で押さえつけられているのです、 その強い力に一生懸命向かって努力、努力を続け、私こそその原因を一番知っていると上へ這い上がろうともがいているのです。 まさに芥川 龍之介の「くもの糸」の世界です。 そこに救いがあるという事で人々は押し寄せて一本の糸を押しのけるようにして這い上がろうとしているのです。 結局、くもの糸は切れて誰も救われないのです。

 日本の現在の成長は職人、中小企業による所が多いのです。 大企業が自分の力で這い上がったように思わす力が働いているのです。 それと同じで、政治家達もまた、自分が上に上がれば何とかなると信じているのです。 人を押しのけると反発を買います。 政治家達が僅かな隙があれば這い上がろうと上の地位を目指しているのです。

 自分の出来る範囲で行動するという事が出来ないのです。 神さまから与えられた場所で生きていくという満足感が無いからです。 上に上がれば満足出来るのではないかと上を目指すのです。 政治家も、いくら頭の良い人が上に立っても回りに敵だらけでは何も出来ません。 周りの人は敵ではないのですが、上に上がりたいという気持ちが、敵にしてしまいます。 確かに上の地位にある時に良い政治をすれば人々から褒められます。 しかし、悪い政治をすれば人々から馬鹿にされます。

 そこには、人の心の中にある高慢さを押さえつけようとする力が働いているという法則があります。 これこそバベルの塔です。 人間は上へ上へ上ろうとするのです。 どこまでも天に到達できないのに、天まで届いて神様になりたいという、心がどこかに働いているからです。 怖い世界です。 神さまがいないから自分が神さまのポジション目指して必死になるのです。 そして人々をそのようになるようにと教育するのです。

 悲しい事実です。 上に上がるのは神さまが行う事ですが、自分の力で上ろうとすると失敗をします。 その事を知らないで生きている人の悲しさです。 どこまで行っても友人ではなく、一生涯敵を作り続けるのです。 そのような人生って、はかないものです。 その人生の素晴らしさを語って下さったイエスさまのところで真理を見つけなければ、太平洋の真ん中で右へ行ったり、左へ行ったりして、さ迷っている人たちなのです。

 自分の位置、自分を愛してくださる人が本当に誰なのか? 自分が本当に生きているのは何なのかという事をいつも考え、歩かなければ決して、イエスさまのところへ近づく事は出来ないのです。
 またそれは、イエスさまを知っている人と、イエスさまと共に歩む人は違うのです。 イエスさまは、神であるのに神のあり方を捨てて、私にその姿を現してくださいました。 イエスさまは上へ上がらないで、人々のために忠実に生きられました。 この原点に帰らなければ、いつまでも人を押し付けて上に上がろう、上へ上がりたいともがき続けるのです。

聖書は言っています。
イエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。 神の国は、このような者たちのものです。

『イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。 これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」』

(ルカ10章21節)