最近、ニュースの確かさを証明するために、よく用いられるのが出来事です。 例えばビンラディンが生きているかどうか? またいつ撮影したビデオ、又は記事かどうかを調べるためには最近起こった大きな出来事を話すこと、又は出来事を書き込んでいるかどうかということです。 ハワイ島で、最近M6.7の大きな地震がありました。 この記事を書いたものは2006年10月15日以降に書いた記事だとわかります。
日本書紀という古い歴史書がありますが、この確かさを調べようとした時、世界各地で起きた地震、日食、月食、彗星の記事、歴史書と比べて調べようとしています。
さて、今から3000年以前の出来事や詩、預言を残そうとした民、ユダヤ人の書、そしてその当時権力を握っていたイスラエル周囲の国の歴史書から、ユダヤ人の書いた歴史書、又の名を「聖書」からその確かさが証明されています。 ただそれだけかというとそうではないことが明らかになります。 3000年以上前に書かれたものが、なぜ残っているのでしょうか? 不思議と思いませんか?
今の時代でも自分の書いたものが果たして100年以上保管されるでしょうか? 答えははっきり言って「ノー」です。 その記録書を残すには、何世代もの子孫達が同じ考えに立って、一字一句を間違えなく残そうとする努力がなければ出来ないことです。 もう一つは、財力、考え方、思想統一、又は安定してなければ出来ないことです。
その時代の人が、昔の歴史書を読んで素晴しいと思えるような記事でなければ、残りません。 しかし、聖書の中に出てくる人たちにとって失敗の書です。 どうして、そんな書が残ったのでしょうか? 残すことが恥ずかしいようなことがほとんどです。 それは人間の限界を教え、神に頼る素晴しさについて書かれていると感じた人が残したと思います。
もし、その時代の人がこんなものは要らないと思えば、この書物は終わった筈なのですが、この書物が良くても、悪くても語っていることは真実だという人たちが残したものなんです。 しかも、それだけではなく古い書物を残しながら、自分もその考え方に賛成だといって、新しく書き加えていった歴史書、詩、預言書であり、近代の書、未来の書なのです。 この書物は最終的に今から1900年ぐらい前に書き込みが終わりました。
1000年近くかけて色々な人によって書かれた本、1900年以上も昔の本、しかし今もその考え方、思想に賛成して語り継がれている本、「聖書」。 またその聖書の確かさによって世界の年代(BC、AD)もこの本から決められたものなんです。 しかも、現在、未来の歴史にもつながる不思議な本。 これはまさに神の残して下さった本ではないのでしょうか。
あなたも世界のベストセラー、聖書を読んで見ませんか、、、