聖書にはイエスさまの姿


『イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。』(マタイ8章7-13節)

 上のみ言葉にあるように聖書の意味を伝えてくれたのは、ユダヤ人でなくて異人の隊長でした。
 この隊長はイエスさまのみ言葉を伝達しようとしただけでした。 み言葉を病人に伝えた時で無く、イエスさまからみ言葉を頂いた時に病人は癒されたのです。

 み言葉を伝えるために選ばれたユダヤ人は、み言葉の意味を間違って伝えたために追い出されました。 み言葉を自分の栄光や高慢になるために使いました。
 言い換えれば、聖書のみ言葉をイエス様の言葉としないで、自分のものにしようとした人です。 み言葉の考え方を伝えようとしているのでは、イエスさまが伝わらず、自分に栄光が戻りますから、あくまでもストレートが大事です。

 聖書のみ言葉はイエスさまの言葉なのですから、伝えるのは誰でも出来るのです。 イエスさまのみ言葉をイエスさまからの言葉といって使っている人は素晴らしい信仰なのです。

 私が信じている事は、命の書に名前が記されている人というのは、まさにこの百人隊長のように聖書のみ言葉に従って生きる人なのです。 松田従旨という名前ではなく、イエスさまの聖書のみ言葉を伝えようとする人、聖書のみ言葉に生きている人が命の書に記されている人だと私は信じているのです。

 私たちは聖人になってはいけないのです。 聖人はイエス・キリストだけなのです。 この聖書の言葉に従って生きられるよう私のためにお祈りください。 又あなたのために祈っています。

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