毒麦


私自身天からの光、毒麦は嫌いです。 しかし、神さまはそれを最後の最後までとって置かれるそうです。 一つ気付くことは神さまは聖なるご自分を現そうとなされます。
毒麦が無ければ、神さまの存在も必要なくなるかもしれません。 毒麦があるので、人は善と悪の中でどれが神さまの御心だろうかと心の中が探られるのです。

人は誰もそのストレスの中で悩みます。 それをちゃんと解決をして下さる方がイエスさまなのです。 その昔、イスラエルの王、ダビデが言っています。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139篇23-24節)

神さまは全知全能の方です。 私の全て、あなたの全てをご存知なのです。 そのような世の生活の中で自分が自由に物事を考えているのです。 その中で神さまは善と悪とをはっきりと区別しようと、教えてくださるのです。 生まれてくる自分の気持ち、そしてどれ位、本気なのか確かめようとしておられます。

悪い思いは指摘され、悔い改めに導かれ、善い思いは表に出して、感謝に溢れその中で神さまはご自分を現そうとなされるのです。 隠そうと思っても必ず出されるのです。

人がストレスを感じるのは、なかなかそれが目に見える形で表れて来ない時でしょう。 きっと。 まるで綱渡りをしているようで、それのゴールが見えないからでしょう。

その時も、神さまが共におられる事、自分の心がしっかりと神さまの方へ向いているのかどうかを確認なされます。 イエス様が共におられる時は平安、そうでない時は不安と、心の中を調べられます。 それは全ての人が主にあって喜びで満たされるようになるためです。 そこに本当のイエス様と自分、そして全ての人との関係が現されるのです。 イエス様を愛しているのかどうかを再確認されます。 どうか主にあって善いものを選べますように、また間違った方向を向いているなら自分で矯正の道、悔い改めの道が出来ますように祈っています。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」(ヘブル4章12-13節)

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