好きと愛の違い


『シモンとその仲間は、イエスをを追って来て、彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言った。イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」』(マルコ1章36-38節)

 イエス・キリストが布教活動をされ始めた時、本当に困っている人のところへ出かけ、悩み、苦しみを解決なされました。 それは、悩んでいる人、苦しみを持っている人を救うためでした。 しかし、本当の意味は個人的な関係、神と人との関係を修復するためでした。 極論ですが、神と人との関係がしっかりしていれば悩みとか苦しみ、癒しや悪霊からの開放は必要ないかもしれません。

 人間は弱いものです。 すぐに結果を求め、解決すれば、おさらばみたいな自分中心な関係をイエスさまは望んでおられないのです。 愛の関係は、一対一で、その中に他の要素や他人が入る余地はないのです。 愛は一時的なものではなく、永遠に続くものです。 

 人は一時的な愛、目に見える愛、体験的な愛を求めますが、この世では消えてしまいます。 そこに生まれるものは、一時的なものです。 全ては消えていくのです。 しかし、愛だけは残ります。

 人々は一時的な、目新しさ、癒し、不思議を求めますが、いずれは消えていきます。 それは神さまの愛が見えるようにするためです。 神様の間に邪魔になるものは全て取り払った時に残るものが見えるようにするためです。 人間の愛は一時的ですが、神の愛は永遠です。

 人は目に見える愛、一時的な愛に翻弄され、本当の愛が見えなくなります。 その中で、真実な愛、キリストの愛を見つけてください。 人やモノではなく、イエスさまに直接、永遠の愛を戴き続けてください。 弱い人は永遠の愛が見えるよう、イエスさまに願い求めてください、それは必ず与えられます。

 イエスさまを好きな人は、一時的で時が来れば忘れます。 イエスさまを愛している人は、イエスさまの心を大切にしていつまでも残るのです。 イエスさまの愛は私たちの上にいつも降り注がれています。 後は私たちがそれをどのように受け止めていくかという事です。 そこにあるのは、私たちの個人的な関係だけなのです。

 下のみ言葉は、イエスさまとイエスさまによって癒された人との関係です。 癒された人は、聖書のみ言葉に従って喜びを伝えなさいと言われていましたが、癒された人は喜びのあまり、聖書のみ言葉を守りませんでした。 そのために癒し、奇跡がイエスさまとの関係よりも大事となり、宣教活動が困難になっていくのでした。

「そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。 ただ行って、自分を祭司に見せなさい。 そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。」(マルコ1章44-45節)

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