イエス様のそばに行く人


 『イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」 彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」』(マルコ10章36-40節)

 イエスさまは弟子の二人に「何をして欲しいのですか?」と具体的に聞かれました。そこで二人は言いました。 「イエス様のすぐそばに居る事です。」 それは素晴らしい答えでしたが、その前に十字架の道がある事を答えられました。

十字架の道は厳しくて人間の努力や思いだけでは歩む事が出来ないことを告げられました。 その十字架の道が歩めるというのは、イエス様の助け無しには出来ないことでした。 今、イエス様の助けというと、洗礼を受けた後に与えられる聖霊様だけなのです。 それ以外の方法はありません。
 自分の心の中にある聖霊様の心を(ある人は愛と言いますが、十字架の愛はこの世の愛とは違うものです) 大事にする人の事です。

 イエス様は、それが単数ではなく複数の人々がある事を弟子達に伝えましたら、他の弟子達が、自分こそイエス様のすぐそばに居るべき人間だと嫉妬心が起こりました。 上に上がるのではなく、下から人々に仕える人が、自然とイエス様のそばに行くことが出来るのでした。 しかも単数だけではありませんので、ご安心ください。

 その後、弟子たちは「何をして欲しいのですか?」とイエス様とバルテマイの会話を聞きます。この言葉は弟子の二人に言われた言葉と同じなのです。

 バルテマイは答えます。「先生。目が見えるようになることです。」 当たり前の答えのようですが、実は素晴らしい答えなのです。 イエス様と私たちの関係の中で一番大切なものです。 先に答えた弟子達の願いは、未来の事でしたが、バルテマイは現在、一番必要なものをして下さいとイエス様にお願いできたのです。
 その気持ちが、未来へと続くのです。 今の歩みが無ければ未来へと続きません。 私もそのように願いたいです。 品物やお金では無くイエス様がはっきりと今、見えるようにお祈りしましょう。 イエスさまは必ず答えを用意してくださるからです。

 イエス様と私たちの関係で大切なのは、未来ではなく現在、今の関係なのです。 私たちの周りにイエス様との関係を大切にしたい人、求めている人達に福音を語るのは今のうちなのです。 通り過ぎようとしたイエス様と弟子達に助けを求めていたバルテマイのような人、人たちに「何をして欲しいのですか?」と問いかける心が大切なのです。
 どうか黙らせようとする者ではなく、弱い人の話を聞きたいという心を持つ事ができますように祈ります。 又私のためにもお祈りください。

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