ペテロと私


 イエス様が十字架につけられる前にイエスさまはご自分一人だけが十字架にかけられ死に、12弟子たちはイエス様を捨てて散り散りになる話をなされました。 しかし、ペテロ様はすぐに、イエス様に従ってどこにでも着いて行きますと口約束しましたが、イエス様を知らないと3回も否定する事を告げられます。 実際にイエスさまがおっしゃった通りになりました。 ここではペテロの話だけですが、もう少し聖書を読むと、十字架のイエス様に着いて行きますと言ったのは、ペテロ以外の弟子達も同じ思いでした。

 『イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。』(マルコ14章30-31節)

 『イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。』(マタイ26章34-35節)

 マルコの著者も、マタイの著者も同じ思いだった事がわかります。もし私がその場にいたとしたら、やはり同じだったでしょう。 やはり人間は、死んだら終わりと思っているからです。

 その後、イエス様は十字架で死なれましたが、三日目に死人の中から甦られました。それは神の子としての特権が与えられたから奇跡が起こったのです。 それだけなら、イエス様と私たちとの関係が終わってしまいます。 しかし、イエス様を救い主だと告白した人にはイエス様から、聖霊様を与えられます。 それによってイエス様と一緒に歩く勇気が与えられます。
それを救いと言います。 今までどこに向かって生きるのかわからなかった者が神さまの愛を受けて歩み出す力が与えられるようになります。

 十字架によって全ての罪をイエス様が赦してくださったお陰で、今までの自分を一新しての歩みが始められます。 確かに今までの自分もあるのですが、聖霊様の働きによって、善と悪の区別が段々とわかるようになってきます。 今までの自分だと自分が得する方ばかり選んでいましたが、イエスさまの生き方を学んでいるうちに、自分よりも神さまの得を考えるようになります。 それは聖霊様の働きです。 
 確かにイエス様を信じたばかりの時は、その区別はつき難いのですが、イエスさまの歩み、キリスト者の歩みを見ているうちに、何が善で何が悪かを見分ける力が与えられます。 後は、自分がどのように生きるのかを選択するだけなのです。
 
 古いペテロの決心では何も変わりません。 しかし、素直な自分、苦しんでいる自分、助けが必要な自分にイエス様が乗り越えられる力を下さるのです。 主にあって恵みと平安が与えられるよう祈っています。 また弱い私の上にお祈りください。

 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ5章1-2節)

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