使徒パウロの生き方


『私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。』(使徒行伝20章19-21節)

 

『私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。(使徒行伝20章26-28節)

 

『目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。』(使徒行伝20章26-28節)

 

現在、いつ何が起こるかわからないし、いつ自分の身に何が起こるのか分からない状態の中で、パウロ先生はどのように生きて来られたのかを知ろうと思いみ言葉を開きました。

 

試練の中で主に仕える。 神に対する悔い改めと主に対する信仰を伝える事。 パウロは全ての人が受けるさばきについて自分には責任がないというのです。 一緒に生活している間中、神の計画を一緒に学び、教会のあり方を信徒に伝え、自分の群れを大切にするように伝えられました。 成熟したクリスチャンとなるために訓戒し、み言葉を宣べ伝え続けたというのです。 また自分は人の金銀や衣服をむさぼらなかったと言っています。

これは人に伝えるというのは言葉だけでなく、模範の生き方をするしかないことを伝えています。

 

同じ使徒行伝で使徒ペテロは言っています。『私たちを見なさい。金銀は無いけれどあるものを見せよう。』と言っている所は注意深い事です。

私たちを見なさい。自分たちの生き方に注目しなさいと言われます。 その中で現されるイエス・キリストの栄光を見なさいというのです。 自分の栄光ではなくて、自分の中にあるキリストの香りなのです。 十字架の愛に生きる人たちのへ与えられたみ言葉です。

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