天国はどこにでもある


今から約2000年前に救い主は、ダビデ王の家系からイスラエルのベツレヘムでお生まれになりました。 しかし、世界中の人々を救うために十字架の犠牲になられました。
人々の罪を取り除くには、罪を犯していない小羊の犠牲が必要なのです。 この犠牲は一時的であり、いつも捧げ続けなければなりませんでした。 それほど人間は神さまの前に罪深い者です。 とうとう神さまは人々の永遠の小羊の犠牲を用意されました。 あなたが信じようが信じなくても、聖書には書いてあります。 その犠牲が救い主、イエスキリストです。 本当は、今から約2000年前にユダヤ人がその人を救い主だと信じていたならこの世の天国は終わりました。

 しかし、ユダヤ人が救い主、イエスキリストを十字架の犠牲として捨てました。 言い換えれば、人々を罪から清めるための犠牲になられました。 それではその犠牲は誰のためにあったのでしょうか? 聖書を神の言葉と信じる人々のためでした。 初めその事は、ユダヤ人に語られましたが、ユダヤ人は頑なな心を持って信じる事が出来ませんでした。 ところが、その話を聞いた異邦人がイエスキリストは聖書に書いてある救い主だと信じました。
 ユダヤ人はイエスキリストを信じたユダヤ人を迫害して殺しました。

それではイエスキリストを信じた異邦人は、どうなったのでしょうか?

『わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。』(Ⅰコリント1章3節)

『「そら、ここにある。」とか、「あそこにある。」とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』(ルカ17章21節)

 実際にイスラエルは幸せな民でした。 神様に従順な王ダビデを通し、中東地域に大きなイスラエル王国を築きました。 しかし、その子孫は天地創造主から離れ、バビロン帝国に滅ぼされ、神殿を破壊されました。

 それだけで神様との約束が終わったりしませんでした。 神さまは、イスラエル人を幸せな民と呼ばれている意味があったのです。 イスラエル人は神様を捨てましたが、神様はそれでも一方的な愛をイスラエル人にお示しになられました。 再びイスラエル人は呼び集められ、ローマ人の時代にエルサレムに神殿を築きます。 今から約2000年前の事です。 そして、救い主であるイエス・キリストがお生まれになりイスラエルを救おうとなさいました。
『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』(ルカ伝2章11-12節)
 なんという素敵な事なのでしょうか!

 ですが、イスラエル人で聖書に従う筈の祭司や律法学者によって、神の子、イエス・キリストを十字架につけて殺したのです。 何という事でしょうか? 再び、イスラエルは神を裏切ってしまいました。 けれども、イエス・キリストを信じたイスラエルの弟子達は世界中に散らばり伝道をし続けました。 エルサレムに集まったイスラエルの民は、ローマ帝国によって再び滅ぼされました。 紀元70年だと言われています。

 本当はここまでで歴史が終わるはずですが、終わりませんでした。 それが現在です。 世界の人は、異邦人として救われる人が続々与えられ、1900年後に再びイスラエルの国が建国されたのです。 聖書では枯れた骨が生き返ったと言ってます。 絶対に有り得ない事が起きました。 考えて見てもわかります。 あれだけ異邦人に迫害され、さ迷い続けた民が他にいるでしょうか? ただ聖書に書いてあるイスラエルの民だけです。

『主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。』(エゼキエル書37章3-8節)

 今、神の国は私たちの只中にあるのです。 人が考え作った想像の世界ではありません。 天と地を造られ救い主から来るのです。 救い主が下さる助け主が私もあなたも救われるのです。
それは神さまが願っておられるからです。

『わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。』
(救い主の言葉、ヨハネ14章16-17節)

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