人は愛を学ぶ

 人には、学ぶ力があります。 今でいうと学習能力です。 この学習能力は良い方にも使われるし、悪い方にも使われます。

 愛を持って教育された方は、良い方に使うし、愛のない教育を受けた方は悪い方に使うのです。 それらは一般的な考えで、考え方ひとつでどちらの選択も出来るのです。

 しかし、最近は愛が冷えてきて何が良いのか? 何が悪いのか? 判断が出来なくなって来ているのです。

 自分中心、グループ中心、企業中心、国中心、儲け主義、人種中心になっていきますと偏った見方となってしまうのです。

 愛が冷えてくると学習機能が無視されて、人間性がどんどんと失われていくようです。 色々な問題がたくさん増えて、人間の限界を超えてくるのです。 それに対処するためにAI、人工知能が使われて、犯罪の処罰まで決定されるようになります。 その裏には犯罪の悪質化があります。 動機とか、その時の状況とかは省かれて簡単に処理されます。 悪質化を暴くにはたくさんの労力やお金が掛かります。 合理化にはそんな事はどうでも良いし、お金の無駄遣いです。

 さて、以前の方法は益々、愛が冷える方法です。 その中で私たちはモノの本質を見抜く必要があります。 たくさんの犯罪が増えたとしても、各個人がしっかりとすれば良いのです。 犯罪者というか? 罪人というか? 人には必ず、両親や保護者がいます。 その人たちが、時代の波に押し流されずにしっかりと、愛を伝え、子孫のため、明るい未来のために学習能力を身に着けていく事が大事です。

 人間にいつも求められていることは、学習能力と生きる道の選択です。 人は生まれた時からずーっと学んで来ています。 

 勉強だけではありません。 親子関係、人間関係、夫婦関係、子弟関係、健康管理、財産管理、最後には人生の終活関係などで数え上げたらキリがありませんし、終わりがないのです。 その中で大事なことは、良い師に出会うことです。 良い師を求め続けなければ、悪い師に弟子入りというか、騙され続けて人生が終わってしまうのです。

 良い師とは誰でしょう? 自分のために命を投げ出して愛を伝えてくださった人はただお一人です。 その名はイエスキリストです。 人が伝説を作ったり、人を擬神化したものであってはならないのです。

 イエスキリストは、天地が創造される前から預言された救い主で、今も生き返られて生きておられるのです。 まず初めに神の言葉があって、その言葉に約束された人、その者でした。 聖書は紀元前にユダヤ人によって伝えられました。 それから紀元1年からお生まれになって人として私たちの前にお生まれになられました。 それは、歴史の事実なのですが、そんなことは信じられないというユダヤ人指導者によって葬り去られました。

 人の一生はそれで終わりですが、イエスキリストは神でしたのでよみがえられて、弟子たちにその姿を現されて天に昇られました。 イエス様は、人の生涯を一人一人にお任せになりました。 それは、イエス様の生涯を歩むようにと神の言葉を残し、弟子たちが神様の弟子として生きられるようにするためです。 その目的は人々が愛の中を正しく歩められるようにするためです。

 愛が急速に冷えている中にあっても、十字架の愛を求めて生きられますように!

 人はこのイエス様の生涯をひも解いて、イエス様と生きるようにと、私たちに神の子となる特権を与えられたのです。 未熟で未完成な私を、また私たちすべての人を招いておられるのです。 ここに本当の神の愛があるのです。 罪ある私たちを赦し、神の子として育てて下さるからです。 祈っています。 また私のためにもイエス様と一緒に歩めるようにお祈りください。


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